ひとりごと



美徳の変化

2020年10月31日
美徳の変化1

 

      これを見て、「おぉ-」と唸った方いますか?

      画像が荒くて申し訳無いが、こちらは「日本船舶振興会」の広告

      あたしが、幼き頃たしか夕方、この船舶振興会の広告が流れていた。

      幼心に「なんの広告?」と朧げに疑問を感じていた。

      数個の種類があり、日替わりで流れていたのも不思議だった。

      出演者も、時の人気力士「高見山」 山本直純

      なんでこんな人選なの?山本直純。当時は単なる眼鏡のおじさん

      そんな程度でしか認識していなかったが、後年になって、知るところによると

      相当の音楽家で、不幸にも視力の低下、家庭の事情で純粋な音楽家の道を

      諦めて、大衆音楽よりの選択をしたらしい。

      だから、このような広告にも出演したのだろう

      そんな、よくわからない広告で、何個かある一つが、こちら!

      階段を親を担ぎ上がる姿。なんでも親が「金毘羅詣でがしたい」とせがみ

      子供が献身的におんぶして、あがりきる姿らしい。

      要するに「親孝行」を奨励する意味合い。確かに、他に動力的な装置が無ければ

      己自らが担ぎ上げるしかない。それを身をもって実践し示したのがこれだ。

      古来から「親孝行」は美徳とされてきた。ただ昨今は、その美徳の感覚に狂いが

      生じてきた。

      親が子供を育てるときの育て方。昨今見聞きするのは「躾という暴力」

      その暴力が度を過ぎて殺めるまでに・・・

      殺めないまでも、心身に傷を残す行為。

      親側も「善かれ」との思いから過度なまでの期待。

      勉強に勤しめ。運動をして活躍しろ。そのような過度な要求を子供に押し付け

      行わないと、言葉で罵り、時には痛みを伴う行為をする。

      方や、子供の側は、さしてやりたくもないことを強要され、心に鬱積する物を

      抱えて育つ。

      親は、益々もって自らが描いた我が子の姿に到達させんが為に、要求が高くなる

      もう、こうなると「何のため」の目標など見えていない状態。

      お互いに憎しみと言う負の感情しか、そこには存在しない。

      大体、自分(親)の能力を診れば、その子供の能力などは分かるはず。

      そんな憎しみが限界点を超えると、凄惨な事件になってしまう

      まぁ、大半が歯止めが効いて事件にはならないが、深層心理は

      負の感情が根付き、後年になり「なんで、孝行するの?」となる。

      自己の満足が、子供の幸せ。それは、大きな間違え。

      正しい道への導き。そう思い、高学歴、大企業への就職。これが正しい

      そのように思い、叱咤してるが、そんな道筋も根底から覆る世の中。

      自分が「正しい」と思っていたことが「間違い」になった時は衝撃を受け

      受け入れたくない気持ちは、大いにわかる。

      ただ、残酷だが変化を拒む者は、進歩進捗しない。これも現実。

      前にも書いたが、万物、生きながらえる者は、屈強な力ではなく

      変化に対応する能力に長けた物である。

      だからこそ、美徳の概念も変化するのでは、無かろうか。  




価格の変動

2020年10月30日
価格の変動1

 

      未だ現役!!

      前首相が「一億総活躍」を掲げ、元気な高齢者も働いてもらう。

      そんな構想を打ち出した。この事は非常に良い事で、やれる範囲で

      活動してもらう。なまじ辞めさせると、気力も失せて、衰えを加速させる

      そんな負の側面が露呈するから、一律の定年には、常日ごろから意を唱えていた。

      まぁ、我々の業種は「生涯現役」が当然の職種。

      60歳?まだまだ、あんちゃん扱い。70歳、おぉ、やっと一人前

      そんな冗談とも本音とも取れる話が出る職種。

      だもの、50歳代などは、「追いまわし」もしくは「小僧」の扱い

      おっと、この単語だが、もしかしたら職業の差別用語に該当かな?

      (詳しい方は、ご一報を・・・)

      小僧は、あんちゃんよりも格下の意味で何も出来ない人物の事

      追いまわし、これも何もできないから、雑用を言いつけられて走り回る様で

      追いまわし。

      日ごろ、当たり前に使う言葉も「それは差別の言葉」と糾弾されることが

      有るが、行き過ぎた「言葉狩り」には閉口する。

      

      さて、話題を戻して、今回の被写体である「発電機」

      昨今の不測の事態で生活基盤の「電気」が止まることが有り、自前の電気を

      用意する。そんな意味合いで発電機を用意する方が増えた気がする。

      そんな風潮と偶然にも一致したのか、知人から「発電機有るけど欲しい?」

      そんな悪魔の囁き?を耳にして「とりあえず見せて」と連絡し、見に行くと  

      即決!「欲しいです」もう、こうなると値引き交渉などは無理な話。

      まぁ、交渉する必要などない値段で譲渡して頂きました。

      ただ、持ち帰った当初は、元気に動いていたが、燃料容器から気化器に

      燃料を送る、切り替えの部品から燃料漏れ~

      純正部品を手に入れるすべなど無く、幸運にも「部品一覧表」を入手しても

      新品部品を発注しても「生産中止」「ご相談部品」(このメ-カ-得意の返事)

      となり入手不可。そうなると代替を見つけ出して、創意工夫で乗り切る。

      今回も、代替部品で見事に復活!!「やったぜ」と喜びも束の間・・・・

      元気に動いていたら、気化器から燃料漏れ。

      此方は、難儀した。まず症状から、燃料を貯める空間に浮く部品があり

      その部品の劣化・損傷。現代の部品なら素材が樹脂だが、いかんせん古典的な

      発電機(1968年製。あたしと同い年。おぉご同輩)なので素材が

      真鍮製。内燃機修理をやったてる人ならば「真鍮製」と聞いただけで

      多少身震いするはず。そう、真鍮製は取り扱いが非常に繊細。

      左右の重量配分が狂っただけで、燃料漏れの症状を露呈する

      恐る恐る開けてみると、開けた先には驚愕の光景が!!

      修理の痕跡多数。半田で穴を埋めた形跡が多数あり。

      「これでは、左右の均等な重量など望めない」

      またまた、代替品探し。幸運にも行きつけの単車修理販売店に、ほぼ同じ品の

      部品が有って、分けてもらい装着。

      「おぉ、今度こそ完璧だぜ!」と満面の笑みで眺めている、またしても気化器が

      お漏らし状態~

      また別の個所からだ。一難去ってまた一難。今度は部品と部品が密着し

      燃料が漏れなくする為の部品で、紙のような素材の物

      これまた代替品。汎用品を切って形を整え取り付ける。見立てでは、これで

      上手くいく。はずだっが・・・お漏らしは止まらない。

      流石に、お手上げで、車修理の玄人に委ねた。

      やはり玄人。事も無く修理完了。詳しく聞くと、部品に経年劣化で

      若干の歪みがあり、既存の厚みの物では駄目だから、少し厚い物で

      新規に作り組み込んだ。流石、そこまでの読みは思いつかなった。

      そんな数々の困難を乗り越え、1968年製ホンダ発電機は、再び

      蘇生した。

      調べてみると、1968年当時の価格が「98,000円」

      今でも発電機の価格とすれば高額。物価などから推測し、一番簡単な

      試算方法の大卒初任給で考察。1968年の大卒初任給がなんと

      28,500円。98,000÷28,500=3.438・・・

      大卒初任給の3か月半の値段!!

      更に現代の大卒初任給を照らしてみると、2019年度の大卒初任給

      206,700円。非常に乱暴な試算かと思うが、現代の大卒初任給

      を落とし込み、試算すると、いかなる価格になるか?  

      206,700×3.5=723,450円!!

      発電機で723,450円かよ

      21世紀になり、この価格の持ち運び発電機など存在しない。

      あっても売れないだろう。

      今のご時世で、この発電機性能と同等品だと30万位だろ。

      約倍の価格かぁ・・

      あたしの所有してる、古典的発電機。構成されてる部品は

      多分、日本製。組み立てた工員さんも日本人。完全な日本製品

      方や現代の製品はどうだろうか・・・言うに及ばずだろう。

      このメ-カ-の傾向だけど、新規製品を世に出す時は過剰品質

      本当、使う側が驚くほどの品質で販売する。

      それが、製品の仕様変更をすると、違った意味で驚く    

      驚くほどの簡素化。悪く言えば「手抜き」をする傾向にある。

      

      まぁ、そんなこんなで、本来の目的である発電機能が完全復活した

      ただ、現代の電化製品は繊細に出来ているので、発電機にも

      正弦波インバータ-機能が備わっていないと、使う家電に不都合を

      生じさせる。

      誠に残念ながら、こちらの発電機。そのような機能など望む術もなく

      使う電化製品は「回す」「灯す」このような単純極まりなき機能のみ

      なんとも勇ましい発電機。

 

      そんな顛末を知人に話したら「これで緊急時に対応出来るの?」

      誠に正しい。あたしも修理を進めてる最中、うすうすだが

      「現代の高機能家電に対応出来るのかな?」と疑問が脳裏を横切ったが

      そんな邪念を払拭し完成にこぎ着けが、その邪念が核心となった。

 

      車、単車などなら、懐古趣味で古い物を直し使うことが有るが

      緊急時に使用する物に懐古趣味を落とし込む使うのは、危険かも・・・ 

           




境界

2020年10月29日
境界1

 

      季節が移ろい、秋も深まり冬へと向かう。

      木々は緑から暖色系の色に変化し、その後は役目を終え落ち葉になる。

      灼熱の夏には、木々の葉が日差しを遮り、一服の清涼感を与え

      寒さに向かう季節になれば、日差の暖かさを享受するために、葉が落ち

      日差しを取り込む。

      誠に理に無かった摂理であろう。そんな恩恵を受けた葉だが、一たび

      枯れ落ちると、厄介者扱い。

      ひと手間かけ、落ち葉を集め焚火をして、灰を畑に撒けば、立派な肥料

      そんば、ひと手間も焚火の煙が不快だ。洗濯物に匂いがつく。

      そんな理由で、行えない。洗濯物の匂いだが、昨今の「香り系柔軟剤」の方が

      兇器的匂いの方が、先進的文化生活なのか?

      

      そんな摂理を人の都合のみで考察し営み、都合が合わないことを「悪」と

      断定し排除する傾向が近代には見受けられる。

      昨今、報道される「熊出没」もそうだろう。

      以前は、人と獣の住む場所に、厳格な境界が存在し、お互いにその境界には

      やたらと踏み込まなかった。

      獣を仕留めることを生業とした「マタギ」は、自らを厳しく律し、山に

      立ち入る時には、山の神の怒りに触れぬように祈祷を行ったり、オコゼを

      携帯し(山の神は醜い女性とされ、それより醜いオコゼを携帯することで

      山の神が怒りを鎮める)日常会話の言葉(里言葉)を山では用いず

      山言葉で意思の疎通を図る等など・・・

      それ位に、自己の領域から、他社の領域に足を踏み込む時には、細心の

      注意を払い山に踏み入り、獲物を仕留める。

      その獲物にも命があり、仕留めるということは、殺生になる。

      本来、殺生は禁じられている行為だが、その殺生で生活の糧として

      行う。主に狙う、熊は「山神様の授かりもの」と考えられて

      自らが決めた頭数しか仕留めない。そこには「自然保護」の思想があり

      「熊を神からの授かりもの「」の思想は、まさに自然崇拝。

      こんな事を書くと、単に前時代の、非科学的発想。そう嘲笑されるかも

      しれないが、人が科学的な事で解明できてる事柄など、極々僅か。

      だからこそ、謙虚に摂理の法則を受け入れる事が賢明

      そんな摂理無視の、人のご都合が、近年の熊出没に繋がっているのでは

      無かろうか。

      今一度、明確な境界を設けないと、この問題は解決しないのかもしれない。




撮影

2020年10月28日
撮影1

 

      仕事中に外に出ると、偶然にもこの車両が通り過ぎた。

      すっかり御馴染みの、某Gの頭文字。この会社が管理運営してる

      ストリートビューの為の撮影車に遭遇。

      もしかしたら、今後のこの場所での画像に、あたしが映り込んでいるかも?  

      なんでも、本来なら、映り込んではヤバい物が映り込んでいる場合が有るらしい。

      しかし、この仕組み。行ったことない場所の風景が見られる。

      ひと昔前だったら、空想科学の夢物語の話が現実になった。

      この後は、どんな進化をするのだろうか?

      仮想現実を可能にする機器が、もうすでに世に送り出され、器具を

      装着することで、仮想なはずなのに現実感を感じることが可能になってる。

      より現実と遜色のない映像を、機器で見ることが可能になれば

      旅に赴くことが無くなる?

      このストーリートビュ-を使い、旅行の下見に使うことなど有る。

      この仕組みを駆使すれば、体が不自由な方でも、仮想旅行が楽しめる。

      本来、科学技術の進歩は、このような姿が正しいと、常日ごろ感じている

      一部の利益の為、あらぬ使い方で、害を与える事は慎むべき行為。

      今の世の中だと、GAFAと呼ばれる、四つの企業が、今までの生活環境

      商売の決まり事を変え、さらに進化してる。

      その事に危機感を抱き、米国の「独禁法」に関する調査で公聴会に

      呼ばれ、証言した。

      GAFAの四社での株式時価総額、合計金額が驚愕の数字で

      5兆円!!!日本円で520兆円!!!

      この数字が如何に凄いかと言うと、日本の国内総生産(GDP)と同額

      たった四社で、先進国の国内総生産と同じ。

      これを驚かずに何を驚く。

      他者を、屈服させるには「力」の行使。この力も、単に「腕力」だけでは無く

      金銭も、大いに力になりうる。

      流石に米国の議会も見過ごすことは、出来なく公聴会に呼び出しをし

      規制に舵を切ったのだろ。

      




天然のたい焼き

2020年10月26日
天然のたい焼き1

 

      お恥ずかしい話だが・・・・

      実は「甘味」が好きなんです。

      「男のくせに」そんなお声が聞こえそうですが

      しかも「洋菓子」「和菓子」どちらも好き。

      つい先日、噂には耳にしていた「天然ものたい焼き」を販売してる店を見つけ

      食べてみた。

      皮が薄く、パリパリ感の食感。

      養殖物しか食したことがないから、天然物の食感は新鮮。

      店主が言うには、この金型は関西で昭和の初めの頃から使われていた物を

      譲り受け今でも現役で使ってる金型。

      今となっては「絶滅危惧種扱い」

      超貴重な物。そうだなぁ、例えるならば「ヤンバルクイナ・西表山猫」に

      遭遇する確率と同じくらいな確率かもしれない。

        




30年物

2020年10月21日
30年物1

 

      此方の革靴、あたしが20歳になった時にな購入。

      購入したのは、つくば市の今は無き「西武」(おぉ懐かしい店名)

      価格は、確か2万5千円位だった気がする。

      大して稼ぎも無かった(今もさほど変りないかぁ・苦笑)そんな懐事情だったが

      時代は「バブル景気の終焉時」そんな時代背景

      「20歳になり冠婚葬祭に出る事も有るだろうから・・・」そんな気持ちもあり

      「一生物」と決めて購入。ブランドはリーガル。恥ずかしい話だが

       高級な靴=リ-ガル そう思い込んでいたから、間違いないだろう。

       そう思い購入した。

       使用頻度は、やはり冠婚葬祭の使用だが、数年前に「かかとの部分」が

       痛み、修理を行った。

       そこで持ち込んだのが、牛久の老舗の靴屋さん「サワムラヤ」

       公私ともお世話になってるお店で、修理をお願いした。

       預けること数週間。綺麗に修理も出来て、眩しいくらいの輝きを

       放つほど磨きこまれ、手元に戻ってきた。

       靴底のすり減りが、多少有るが当分はこれで大丈夫。

       20歳の時の、あたしの選択には間違いがなかった~

       30年経過した今でも、何ら問題なく履ける。たぶん30年前だと

       自国生産されていた時代だろう。その後「プラザ合意」の影響で

       円高に移行し、生産拠点を海外に移した時期。

       今の時代は、日本の会社でも生産国は海外が当たり前の時代。

       古き良き「日本製」だろうなぁ・・・

       

       




開催

2020年10月20日
開催1

 

      以前、加入していた団体、商工会青年部が主催する催し告知看板。

      例年だと、この日は牛久市の文化祭「わいわい祭り」だが、ご多分に漏れず

      今年は取りやめ・・・

      その代替的な意味で「ドライブインシアタ-」を開催する運びとなった。

      おぉ、素晴らしい思い付き~

      これなら他者との接触も避けられるし、流石は優秀な後輩

      あたしたちが現役の頃だったら、このような思考は思いつかず

      「今年は、中止。中止」そんな考えしか思いつかなかっただろう。

      あたしも、齢を重ね同年代の方々と話す時に出てくるの台詞に引っかかる

      文言がある。

      「今の若い連中は・・・」と否定的な文言。

      出たぁ~一番聞くのも発するのも嫌いな文言

      言う方は、「俺たちは、お前らより齢を重ね先輩。経験も豊富」

      そんな意味合いを根底の持ち、「上から目線」そんな感じで

      物を言う。

      この、思い上がりにも似た文言は、好まない。

      もし、若い人たちが劣っていたならば技術の進歩などは絶対に無い

      10年前より今の時代の方が、便利で快適。

      まぁ、その追及の弊害が有るのも事実だが・・・

      自分たちが、まだ青二才の頃に、同じ文言を言われ憤慨したのに

      齢を重ねて立場が変われば、同じ文言を言う。

      ここで錯覚してはいけないのは「齢を重ねる=経験豊富」とは一概に

      言えないこと。

      時間の長さではなく、経験の濃度が肝心で、若くたって1年で

      10年分の濃度の経験を積む人物だって居るわけだから。

      まぁ、大概この文言を言う人物は、さしたる経験値も持ちえず、

      流されるがままの、時間の経過を漫然と受け入れてる。

      太古の昔の史跡の悪戯書きにも「今の若者は・・・」と刻まれていた

      そんな話も耳にする。

      単純に「若者礼賛」では無い。若さ=無知・無能。こう決めつける事が

      駄目なんだ。

      先に生まれた者たちは「先に行ったことを顧みて反省すべきは反省し

      今の時代に合致していな事柄は、改善する。それが出来ない人物は

      若者を批判する資格は無い」そのように思う。

      年齢に関係なく、最近の生活環境の激変で感じるのは「礼節の欠如」

      人と人の間隔を空けることが推奨され、間隔を空けてる所を

      平気で横切る様。人の前を横切るのは無礼にも当たる。

      軽く断りを入れて横切るのが礼儀。それなのに年配者でも

      平気で横切ることが多々ある。

      たまに若い人物で、会釈をし、前を通る人物に遭遇すると、

      その人物の生活環境が見えるようだ。      




注意

2020年10月17日
注意1

 

      高齢者ご用達の車種

      T社の「Pリウス」内燃機関に対する風当たりをかわす為、技術者が粉骨砕身で

      世に送り出した車。

      本来なら「世の為、人の為」で人々を幸福にすべきものなのに、あの事故での一件で

      すっかり「悪役」

      証言のように「車に不具合」が存在したのか?

      証言者は頑なに「アクセルとブレ-キの踏み間違いは無い」と証言した。

      どうするT社。もしかしたら証言のように踏み間違い無しで暴走?

      だとしたら「欠陥車」これが万が一に事実だったら、H社のシ-トベルトの

      問題など、取るに足りない程の衝撃的な出来事だ。

      確かに、日本は世界的に未経験の高齢者が多い国になった。

      古来から「長寿」は、御めでたい事である。ただし時代が変化し、高齢者が

      弁えずに兇器にもなりうる道具(車)を操作(運転)するのは、いかがなものか

      一律で、「〇〇歳は免許返納」と線引きするのは難しい。

      免許書き換え時の高齢者講習だって、自動車教習所で受講する仕組み。

      この制度が上手く機能していれば、今回のような事故は無かったのか?

      制度が有るにもかかわらず、起きたのなら制度に不備があったのでは?

      どうも、我が国は「長寿」と言うことに、もろ手を上がて賞賛する傾向がある

      くどいようだが、長生きを否定はしない。ただし自己の衰えを認めづに

      弁えた行動を行わないのは、由々しき問題。

      そこで思ったのが、高齢者はAT車を禁止にして、マニアル車のみにする。

      そうすれば、アクセルとブレ-キの踏み違いでの暴走は、少なくなる。

      クラッチ操作。この操作が暴走を防ぐ。

      自動運転など先の事に期待するよりも、既存の事で対処することの方が

      現実的ではなかろうか?

      あとは、此方のマ-クを張ってる車には、近づかない。

      まさに「賢人は安きに居て危うきを嘆き、佞人は危うきに居て安きを嘆く」

      この心境なり。  




遠路

2020年10月14日
遠路1

 

      パソコンの画像を整理していたら、こんな画像発見~

      今から10年位前、5月の連休に山陰方面に遠乗りした時の映像

      多分、東名高速入り口の「東京料金所」で撮影したもの

      たしか、この時も細かい予定を決めず、漠然と島根県・鳥取県に行く

      その程度の計画で向かった気がする。

      後ろのは、お手製のキャリアを装着し、道具箱に野営道具を詰め込み

      ひたすら走った。

      この時も一人での旅だった。

      「一人で遠出は、寂しくない?不安は無いの?」と聞かれることがある。

      断っておくが、あたしは友人が誰もいない、そんな人物では無いからね。

      取り立てて友人が多いわけでは無いが、普通に友人は存在する。

      ただ、このような遠方への旅。しかも予定は未定に近い。

      こんな旅のスタイルに付き合える人物は、居ない。

      そうなると必然的に一人旅。今でこそ「ソロキャンプ」「おひとり様」等

      言われるが、数年前だと「おひとり様」だと、世間の目は冷ややかな見方・・・

      それが、最近ではおひとり様が持て囃される。

      この事に関しては、あたしは「ぶれていない」自負がある。今でも一人で

      一人で出かけることが多い。きままに走り、気ままに休憩。

      これが一番楽なスタイル。遊びなんだから楽が一番。

      

      

      




10月10日

2020年10月10日
10月10日1

 

      1964年(昭和39年)の本日、10月10日

      あたしなど、この世に存在などしていない。影も形もない。

      今から56年も前の出来事で、アジア初のオリンピックが東京で開催された。

      それが、本日10月10日。アジア発でもあり有色人種の国が開催という事も

      非常に意味があり、その後欧米各国の植民地で有った国々もが、触発され

      独立した。そのように非常に意味に深い大会でもあった。

      そんな開n催国の日本。昭和39年と言えば、壊滅的破壊を被った先の大戦から

      19年しか経過していない時代。幸運にも恵まれ復興を成し遂げ、国力も

      増大し、先進国になりつつあった時代。そんな時代背景での開催。

      当時のオリンピックは現代の「アメリカ式商業主義」の様相など微塵も無く

      まだ、フランスのクーベルタン男爵が提唱した「参加することに意義がある」

      の精神が残っていた時代。

      それが、n1984年のロス大会から「商業主義」が取り入れられて 

      オリンピック=金儲け、そんな公式になり当初に掲げた崇高な目的から

      かけ離れて今日まで流れ、商業的に儲かる側の都合により、開催日程が

      決まるという、競技者無視の日程となってしまった。

      本来なら「非常に変」な事なのに、既存報道各社は、そのような事には

      さらっと触れるだけで、大挙して開催を盛り上げる雰囲気作りに余念がない。

      ある意味昔から繰り返し行われていた手法の「大衆扇動行為」にも

      思える。

      先の東京大会には、大義名分があり、少なからず開催の意味がった。

      ただ、昨今の大会は、競技を見世物とし、そこに群がる金の亡者の

      犠牲になってる感が見える。

      「より早く、より高く、より遠くに」それを目指し競技者は、厳しい練習に

      励み、来る大会でその成果を披露し、各国の競技者と争い、そこで勝ち

      賞賛を受ける。

      それが本質なのに、競技する側、競技見る側も殆どが、本質を見失い

      狂喜乱舞する様は、何なのだろうか・・・・

      それならば、開催国も持ち回りなどせずに、毎回決まった地で開催し

      それらに係る、運営維持費を参加する国で分担負担し開催する方法が

      良いのではなかろうか。

      そうすれば、今度の東京大会のような、競技者無視の大会日程になりにくい。

      まぁ、こんな考えは実際には無理な話だろうなぁ。

      それほど、オリンピックが「金を生む」美味しい産業になった結果だろうな。  




損害賠償

2020年10月8日
損害賠償1

 

      先日、広島県の介護施設利用者(82歳)が感染症で亡くなった。

      遺族は「ヘルパ-からの感染で、損害賠償を起こし、事業者側に

      4400万円の損害賠償を求め広島地裁に起こした。

      亡くなられた方には、誠に気の毒な事だ

      ただ、82歳という年齢。登山家の三浦雄一郎(87歳)のように

      矍鑠とし、社会に貢献してるなら損害を被り賠償を求めるのも

      理解できなくもないが、ヘルパ-さんのお世話になる。この事からも

      人手を借りないと日常生活も、ままならない状況かと想像できる。

      たしかに、感染症にならなければ、もっと長生きできたかもしれない。

      不本意な人生の結末だということも理解できる。

      ただ、金額には無理がある気がする。何を根拠に4400万円と言う

      金額をはじき出したのか・・・・

      女性の平均寿命が87.45歳。90歳越えも珍しくない。

      87.25歳−82歳=5.25歳となる。

      4400万円÷5.25=8,380,952

      単純に考えても、年間約840万円。まぁ乱暴な試算だけど、

      何を根拠に、4400万円なのか、疑問が残る

      そもそも、親族が面倒を診られないからから、ヘルパ-さんが

      なり変わり世話をしていたのだろう。それならば、感染の対策を

      万全にするのあれば、家族が介護すればいいのでは?と思える。

      訴えた側にも、それ相応の理屈は有るだろうが、今回の一件は

      どうも「金銭目当て」と思えてならない訴訟。

      もし、今回の一件が認めれてしまうと、介護職に従事する人が

      減ることは、火を見るよりも明らか。そもそも介護職は、なり手が

      少なく、従事しても離職が多い業種なのに・・・

      さんざんお世話になっておきながら、このような事態なると

      手のひらを返したような対応。

      どうも、あたしの気質にはそぐわない。人に言わせれば

      「単に銭目当て」と吐き捨てる人も居るくらいだ。 




破壊

2020年10月6日
破壊1

 

      移動中に目に留まった光景。

      さして珍しい光景でもない、ありふれた解体工事の様子。

      テナントので業種が変わり、以前の店内の内装を撤去し、新しい業種の為に

      模様替えするのだろう。

      どんな事情があり営んでいたお店を閉めるのか・・・

      「稼ぐだけ稼ぎ、リタイヤ?」この可能性は、非常に少ない

      「今回の感染症の影響で閉店?」

      今度の業種は、何なのか・・・

      このような光景は、全国各地でみられる光景で、その都度古い物は

      解体され破壊される。

      役目が終わると、次の瞬間から「大切に使う物」から「不要な物」に価値観が

      真逆になる。

      物質的には、化学反応でも起こし変化した訳でも無いのだが、「使う側」の

      ご都合で「不要な物」すなわちごみ扱い。

      そうなれば解体作業が執り行われ、解体されたものは「産業廃棄物」の扱い。

      上手く活用できる物も、有るだろうが、経済学的な思考で捉えると

      「再利用する手間暇を考えると、新たな物を購入する」この方が安価。

      壊したものは、あくまでも「ゴミ」の扱いでしかありえない。

      これの繰り返しで、近代社会は繁栄し豊かさを享受した。

      ただ、この仕組みが正しいのか?と問いかけれれば、正解とは言いにくい

      むしろ、自然摂理と言う、大きな見方をすれば、「誤」で有ることは

      明らかであろう。  

      「我が国は、破壊と生産を繰り返し繁栄した」

      確かに経済発展と言う側面では、大正解であろう。ただ、余りにも

      経済発展を優先事項と掲げ、本来なら使える物までも破壊する風潮

      この事には非常に違和感を感じてしまう。

      経済という風船。欲に駆り立てられ風船に大量の空気(富)を入れれば

      大きくなるが、いずれは風船が空気(富)の量に耐えられず破裂する。

      

         

   




依頼

2020年10月4日
依頼1

 

      本日、とあるイベント(近日、詳細をお知らせいたします)にて

      こちらの、裁ち切りばさみの研ぎ依頼。

      包丁、鎌などは現地で研ぎ作業を行いますが、鋏は持ち帰り

      秘密基地にて作業を行います。

      今回は、ご依頼を有難うございます。

      仕上がりまで、今しばらくお待ちください。 




高層木造建築

2020年10月2日
高層木造建築1

 

     高さ70mで地上17階

     この数字だけを見ると、驚くほどの高さの建物でも無いが

     主要躯体が「木製」となれば、話が違う。

     以前なら夢のような話だが、現実の話で2023年に着工して

     2025年に竣工を目指してる。

     木造と言っても日本古来の「伝統工法」のような大口径の無垢材を

     使用するのでは無く、集成材で内部は、燃焼を止めるに不燃材を入れた

     複合てきな建材。

     それでも「木」を用いるという点では、好ましい傾向である。

     記録によると江戸時代の「江戸城天守」が記録を元に計算すると

     58.63メートルとなるらしい。

     今回の計画の建物と比べても、遜色のない高さ。

     約400年も前、今と違い高層な建物無い時代。さぞ高く感じただろう。

     ただ、大火に見舞われ、たった21年しか、その存在しなかった。

     400年前の出来たのだから、現代の技術・知恵なら可能かと思う。

     

 





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