ひとりごと



操作方法

2019年6月18日
操作方法1

 

 

         池袋事件以来、何かと高齢者の運転が話題なる。

         まず、「何故、現行犯逮捕を行わなかったのか?」

         ネット等では「上級国民」と揶揄され、逮捕を間逃れたのでは?そんな実しやか

         話題も出てる。

         そもそも「逮捕」に関する定義、これを理解すると「逮捕=懲罰」では無いことを

         念頭に置くことが重要で、「逮捕しない=懲罰を免れる」では無いこと。

         では逮捕とは何ぞや?被疑者に証拠隠滅や逃亡をさせないための措置

         そう考えると「高齢者で、怪我をしてる」逃亡の恐れ無し。しかも入院して

         証拠隠滅の可能瀬は無い。そのように考慮すれば、逮捕は行わない。

         さらに、怪我人で高齢。もし逮捕して留置所で、体調を崩して何か有ったら

         今度は、警察が槍玉に・・・

         それなら、逮捕を行わない方が良いのでは?そのような思惑があったのでは

         ただ、その後の世間の意見が「他の事故では逮捕なのに、何故!」

         まさか、警視庁も「こんなに騒ぎになるとは、ならば逮捕しておけば・・・・」そのように

         思ってるかもしれない(高い確率で、的を得た意見)

         では、なぜ通常だと逮捕して身柄を拘留するか、先にも述べたが「証拠隠滅」

         「逃亡」の恐れがあるから、それと「容疑者の自殺」もある。罪悪感から自ら命を

         絶つ恐れがあるので、拘置したほうが安全。

         警視庁も、良かれと思った措置が完全に裏目に出た結果かも知れない。

         要するの、物事は「うわべ」だけを見るのでは無くて深読みして、裏を見ないと

         真相は分からないと言う事。

         そこで、今回の事故原因が、「高齢者の運転」が大きく取り上げれて、有名人でも

         「私も高齢者なので、免許返納します」そんな行為を目にする。

         そもそも、高齢者が、ATの運転に適応し難いのではなかろうか?

         以前は、「マニァル車」が大半であった時代に、操作ミスの暴走があっただろうか?

         クラッチ操作と言う行為が、暴走をさせていなかった。言い過ぎの感は有るが

         強ち嘘では無い。

         確かに快適に操作する。この事は非常に有意義で意味のあることだが、

         まさか、こんな事になるとは、開発側、使う側も想像していなかっただろうに・・・

         さて、技術的な側面から考察すると、電動化に舵を切った自動車業界。

         今更「クラッチ」という伝動装置を仕組みとして取り込めるのか?

         車の電動化が「AT」を前提とした仕組みなので、技術的は出来ない事は

         無いだろうが、時間と費用と能力は莫大に掛かる事は、容易に想像できる。

         我が家の近所に在住の人物。終世、車はマニアル車しか乗らなかった人物がいた。 

         その人物曰く「ATは誤操作の可能性があるから、マニアルなら誤操作しない」と

         自ら言ってマニアル車を選択。マニアル操作できなくなったら車の運転を辞める。

         そのように言って、車に乗っていた。ただ車選びには難儀していた。

         自分が欲しい車種に、マニアル車が無い。あっても納車に時間が掛かる。

         その人物曰く「困ったのは、修理の代車。マニアル車を代車で希望したら

         AT車のみで、マニアル車ありません。そう言われた時は困った」そう苦笑していた。

         「高齢者がマニアル車乗っても事故激減には、効果なし」そんな意見も耳にするが

         このような事例もあるので、一概に排除できる意見でも無い気がする。

         世間は「平均寿命世界一」と誇らしげに声を上げるが、長生きする事で、

         色々な弊害が出ることにも、もう少し目を向けて考えないと・・・・

         まだまだ問題山積~




絶対

2019年6月12日
絶対1

 

         コアな格闘技なら、ご存知の人物

         「熊殺しのウィリ‐・ウィリアムス」

         1970年代中盤、いまほど情報も無く、視覚の情報と言えば「テレビ」次が

         「映画」ぐらいで、今のようにスイッチをONにして、検索をかければ

         数多の情報を入手できる。ただしこの情報も玉石混淆・・・

         そんな情報が少ない頃に「熊殺し」の映像を見たときは、驚いた。

         人間が素手で猛獣の熊と戦う。

         今となっては、疑問を感じるような設定だが、当時は真剣に「凄い」と

         驚嘆したものだ。

         そんな屈強なウィリ‐も自然の摂理には、逆らう事が出来ず鬼籍に入った。

         古今東西、絶大な権力者でも、「生きる物」の摂理である「死」には

         逆らう事は不可能であった。死から逃れんが為に「不老不死」の秘薬を

         捜し求め服用したり、我が身をミイラにし、復活する為の施術を行ったりと

         死と言う絶対に訪れるものに対して「恐れおののく」  

         この「死」は、屈強な人物。絶対的な権力者。有り余るほど富を持つ人物。

         貧しき者。病弱な者。平等に訪れる

         ある時に、ある出来事で「絶対に大丈夫だから」と言ったら、有る人が

         「世の中には絶対は無い、絶対が当てはまるのは、生きる物が死を迎える事だけ」

         そんな台詞を言われた。その時は「そんなの屁理屈だ」を思ったが、

         最近になり、的を得た台詞かもと思える。

         絶対に破綻しないだろうと思えた企業が破綻したりとか、少し前ならばあり得ない事が

         色々と起こる。

         そんな社会情勢を鑑みると、軽々しく「絶対」とは言えないのかもと思える

         一般的に「絶対」と言うのは、単に可能性の数値が限りなく100%に近いだけで

         数値に表すならば「99.9999999999999999999999999999999999%」と

         言うだけで、100%では無い。100と99では、大きな差である

         まぁ「0(ゼロ)」と「1(イチ)」の差ほどでは無いが(このネタは、また改めて・・・)

         絶対と言う言葉だが「名詞・形容動詞」に使うなら、有りだろうが

         「副詞」だと、今回の理屈が当てはまるかもしれない。




規制

2019年6月6日
規制1

 

 

                      世界に冠たる自動車生産国の日本

                      良くも悪くも我が国の「基幹産業」には間違いない

                      昨今の貿易問題も、自動車が槍玉に上り何処を解決点に

                      するのだろか・・・・

                      そんな基幹産業にまで成長した自動車業界だが、遡る事

                      約半世紀前まで、この画像ボデ-カラ-は、一般車両には

                      使用禁止だったという事実。

                      この規制に噛み付いたのが自動車業界に最後に参入した

                      HONDA。当初は赤に近いオレンジだったが、当時の社長である

                      本田宗一郎が「もっと赤く(スカーレット)に」の一声で赤に決定

                      それからが大変で、運輸省と喧々諤々に。

                      一説には新聞コラムに「世界の一流国で国家が色を独占する

                       そんな例は聞いた事が無い!」と寄稿。他にも社員が足しげく

                       運輸省に赴き交渉した事は容易に想像できるが・・・

                       今では想像も出来ない出来事を、この車両を見ると感じてしまう




特殊形状

2019年6月1日
特殊形状1

 

      

      左の鑿が、一般的な形状

      右が特殊形状(通称・首長)の鑿

      一般的な作業なら、左の鑿で十分に用が足りるのだが・・・

      只今の作業では、難儀するので首長鑿を用いないと作業にならない

      しかし、新品は値段が張る。値段も問題だが、手に入りにくい。

      昨今では、この道具を使用する事が激減~

      そうなると、鍛冶屋さんも激減。家業を続けてる鍛冶屋さんも存在するが

      このような特殊な形状の物は、なかなか作らない傾向にある。

      値段も問題だが「今すぐに使いたい」そんな切羽詰まった状況

      そんな状況に、見えざる力が作用したのか、とあるフリ-マッケッと発見!

      一切迷い無く購入!急いで持ち帰り手入れ、手入れ

      作業を行う事半日。何とか実戦に使えるレベルに治す。後は使いながら

      研ぎ直しをしながら直ししかない(時間的な制約)

      テストで使うと、切れは悪くない、むしろ良い切れ

      実戦で使うと、驚くほどの切れ。あの値段でこの性能は、大当たりの品

      たぶん、今年の運をこの鑿で使い果たしてしまっただろう。そう思えるほどの

      大当たりの品物を引き当てた。

      5月も終わり、残り半分の一年。たぶん使い果たした「運」の残りかすで

      過ごす事になるのだろう・・・

      それ位に思えるほどの、掘り出し物だ

     




一般公開

2019年4月21日
一般公開1

 

 

        本日、つくば市にある「物質・材料研究機構」の一般公開の見学

        最近では「NIMS」と書いて英語読みをするらしい。

       個人的な見解だが、英語での表記や言い回しが多い

       公人の発言、ニュース等での解説者なる人物が英語の言い回しを

       する事が多く、意味が理解出来ない事が多々有る。

       単に、あたしが「無学」だからで、一般の方々は、この傾向に対応

       出来ていいるのだろう。

       そんな無学な人物でも、このような一般公開は「懇切丁寧」な説明で

       最先端の研究をまじかで見て、理解できる。

       中には、理解しがたく専門的過ぎることも,若干あった(苦笑)

       今回で3回目の見学だが、何回見ても飽きる事無い

       今思うに、中学、高校の理科・物理の授業をもっと理解していれば

       そのように想い後悔してしまう。

       本来は,楽しはずの化学・物理が学校教育の授業と言う名を纏うと

       非常に面白くなく、苦痛な時間なってしまう。

       この事は、他の教科でも同じであった。誠に残念だ・・・ 

        

        




老いる

2019年4月14日
老いる1

 

 

         此方の女性。

         この画像だけを見たら、「誰?」と思うのがほとんどだろうと思う。

         ずばり当てられた人は、結構の洋画通とお見受けする

        そう、一斉を風靡した往年の大女優である「オ-ドリ-・ヘップバーン」

        オ-ドリ-と聞くと昨今では「笑われ芸人」のあの2人を連想しがちだが

         あんな、芸とも呼ぶに値しない人物たちが「オ-ドリ-」と名乗る事にには

         個人的に不快な感じを受けてしまう。

        まぁ、個人的意見はさて置き、この時の年齢がたぶん60代の半ば

        往年の近寄りがたいほどの美しさは、無いものの凛とした美がある。

        顔にはシワが刻まれ、肌の艶も無くなっているが、そんなものを

          隠す事無くさらけ出す。

        翻り、日本は「年を重ね、劣化する事に嫌悪感」を抱きすぎるのでは

        無かろうか。

        年を重ねた人物の若作りほど、醜いものは無いのでは無かろうか

        「実年齢よりも、若く見られたい」そのような傾向が多い

        要するに「経年劣化=悪いこと」と捉えがちではなかろうか

        人物に限らず、「物」にもこの傾向が見受けれれる

        茶道で有名な「千利休」は「枯れる良さ」に美を見出した

        生きとし生けるもの、全ては劣化する。止めようが無い、この摂理に

        反して枯れる事を否定し拒絶する事ほど、愚かで見苦しいのではなかろうか

         さて、話しを戻しオ-ドリ-・ヘップバーンは晩年にはユニセフの親善大使に

         任命され貧困に喘ぐ国に赴き、現地の人々に手を差し伸べた

        それがこの映像。全く老いた姿を隠す事無く曝け出す、そこには

        内からにじみ出る「真の美」が感じられる。

        方やわが国のユニセフ親善大使の人物・・・・

        ギネスにも登録される、トーク番組のあの女性

        個人的な見解だが、あの番組にでる容姿を受け入れ「美しい」とは

        到底思えないし、むしろ「見苦しい」姿に見えてしまう。

        私見で申し訳ないのだが、枯れる事に抵抗し真の美を放棄した

        そのようにしか見えない。

        「本物を知らない物は、偽物を見分ける事が出来ない」

        どんな事柄でも「本物・本質」に触れなくては(見なくて)駄目である。

    




実戦

2019年3月23日
実戦1

 

 

        日ごろの鍛錬の成果を発揮する場面に遭遇  

        果たして、実戦で何処まで通用する事か・・・・

        使う機会も、殆んど無かった道具だが「何時でも使用可能」

        多少の調整が必要だったが、実用で通用する程度の仕上がり

        本当、地味に練習していて良かったと思える瞬間かな

        大工仕事の基本中の基本である「研ぎ」これが今現代では

          おなざりになり、研ぎを必要とする作業は皆無

          このようになったのは、何故なのか?大工が「儲け」を優先にして

          手間の掛かる事を止めたから?

          施主側が、このような作業を有する(特に和室)を敬遠し求めなくなったから?

          この件に関しては、両者とも責任があると思う。

          でも、今回は非常に稀な機会で、このような作業をさせて頂く事に

          なったのは、誠に幸運以外の何ものでもない。

          ただただ感謝。この言葉以外に無い・・・・・




思い

2019年2月28日
思い1



          この時期になると、雑誌等でこのような企画が掲載される。


          学校の歴史の授業では「1936年(昭和11年)2月26日」これだけを


          覚える。要するに試験にでて正解をもらう為。本来「歴史」という科目は


          年号など、大まかに覚えていても問題なく、むしろ「なぜそのような経緯に至り


          どうして、このような事になったのか。その後にどのような影響を与えたのか」


          これが歴史と言う科目の本分なのに、試験では「年号」を覚え、正しく記憶して


          回答する事を求める。


          こうなると「歴史」という科目では無く「記憶の優越」を求める科目でしかない


          まぁ、日本の試験は往々にしてこの傾向であるのが現状。


          そんな世間を震撼させる事件だったが、この事件に「人間国宝」も参加


          していた。それが今は無き「5代目 柳家小さん」


          人間国宝と広く認識されてるが、正式な名称でないことに最近知った。


          正式には「重要無形文化財保持者」と言うのが正式な名称らしい。


          そんな小さん師匠、当時は21歳の青年で位は、二等兵。


          落語家になって3年目の頃だから、思うに見習いを終えて前座になった頃


          226事件の年に召集され、兵隊さんになって直に、この事件に参加。


          上官に言われるがままに、行動して警視庁を占拠。事前に計画も知らず


          歴史に残る事件の大きな渦に巻き込まれる事態になる。


          その後は、歴史を知る方々なら、お分かりだけど、叛乱軍になってしまい


          首謀者は刑を受ける。関わった連帯は、中国大陸の最前線に配置され


          非常に危険な地域に送られる。要するに「お仕置き」だ。


          自らが、行動を起し、お仕置きを受けるなら、仕方が無いが、上の命令で動き


          その行動の為に、末端まで仕置きを受ける。


          このような出来事は、時代が変わっても、同じ事。


          同じ事といえば、この事件が起きた時代背景と、現代が似いる点が有るのは


          否めない。


          それと、変わらないのが「事を成した後の無計画」


          この事件を首謀した人物達の思想は、理解でき共感できる点も、多少はあるが


          この計画が、もし完遂しても、その後計画は、ほぼほぼ白紙のような状態。


          「その時になれば、考える」この無責任さは、今の時代も目にする事がある。


          事に取り掛かるには、起承転結では無いが、結までを考えて事を成すのが


          正しい事かと思う。


          どうも、日本人の悪しき性格なのか「後は、後になって考える」そんな思考が


          多く見受けられる気がするのは、あたしだけだろうか? 


          



技術

2019年2月23日
技術1



         つい先日、商工会の工業部会にて、視察研修が執り行なわれ


         このような歴史的価値のある、車両が展示してある施設見学。


         Nの頭文字の自動車会社。最近ではトップが世間を賑わせてる会社と言えば


         皆さんご存知かと・・・・


         自動車業界、と言うよりも内燃機関産業も、「環境問題」で、殆んど西部劇の


         リンチの吊し上げ状態で、いかに「環境に負荷をかけないか」それが開発の


         目標になり「高馬力・高速走行」そんな性能は、二の次三の次・・・


         日本車が外国車に性能が太刀打ちできなかった、大昔は「追いつき追い越せ」が


         開発の至上命令(誤用で「至上命題」と言うが・・・)しゃにむに開発を行っていた


         そんな時代の車が一堂に並んだ施設の眺めは圧巻だった。


         車産業も生き残りをかけ、「環境に負荷をかけない」それが昨今の開発目標。


         しかししかし、この業界の涙ぐましい努力とは、裏腹に野放し状態の産業が


         「製鉄業界」との噂を耳にした。


         電力業界は「二酸化炭素を排出しない」そんな美辞麗句で原子力発電を


         推進したが、3.11で世間が「怪しい」と気がついてしまった。


         しかし、美味しい(儲かる)電力事業、既得権益を手にした者達は、容易く手放さない


         手を変え品を変え、何とか手放さない算段に、躍起になってる。


         と、電機業界は、小出しながらも暴露されてるが、「製鉄」業界の闇も深そう・・・・


         製鉄で排出される二酸化炭素の量は、車業界の量に比べると2009年度で


         約1.7倍。しかも殆んど排出時に、対策を行っていない。要するに垂れ流しの


         状態との噂だ。


         しかも、算出するものが「気体」で眼で確認出来ないから、一般人には


         「ピン」とこないのが困った。これが見た目で判別できる物質ならば、善悪の


         判断の出切るのだが。また「見えないもの(気体)」は学の無い一般人を


         煙に巻く為に、難しい言い回しや、算出方法を多用するから、なお厄介


         賢い方々等からすれば、学の無い庶民等は、赤子の手を捻るが如くだろう。


         無学・無知は不幸に成りかねない・・・・・
      


         


         



2019年1月16日
美1



         今更ながら、新年明けましておめでとう御座います。


         厳密言うならば、小正月(1月15日)までは正月と言う定義だから


         このフレ-ズは「使用可」だったが、本日からは「寒中見舞」と言うのが


         正しい言い回しとなるらしい。


         そんな新年にかけて、樹齢400年の盆栽が盗難被害にあった。


         その価格が数百万円(この言い方が非常に濁した言い回し・苦笑)


         所有者からすれば、「金額に表せない」と言うだろうが、世間的相場と言う意味で


         「あえて値段をつけるなら・・・」そんな事での、数百万円と言う値段を出したのだろう


         海外でも「盆栽」が流行りつつある(ヨ-ロッパ圏)やはり文化を大事にする地域は


         他国の文化にも理解を示す。


         確かに自然の物に人為的に手を加え、単なる樹木を「美」にまで昇華させる事は


         「美」になるだろう。


         しかし、ここまでの姿にするまでに時間で「400年」気が遠くなる時間である。


         その間には、どれだけの人の手が加わった事か、想像を絶する。


         そもそも「盆栽」とは何か?本来は自然の大木を縮尺し鉢植えして観賞する


         この粋な趣味。非常に時間を有する。まず、自然が相手なので、人の都合等は


         関係ない。日差しが強ければ対策をするしかない。普通の生活(仕事等)を


         営んでいる環境では、誠に行いにくい趣味である。


         余ほど、時間と財力に余裕が無いと出来ない趣味とも言えよう。


         逆説的に言うならば、世間に評価される盆栽を所有するという事は


         「私は、時間も財力もあります」と誇示してるように感じてしまう。


         要するに、他を投げ打っても取り組まないと、出来ない事。


         自分で出来なれば、頼み世話をしてもらい事は可能(金銭的な解決方法)


         金銭的に無理ならば、自らが行うしかない。そうなると今度は「時間的」な問題


         まともな生活を営んでいるなら、可能か不可能か。この事柄を指標で表すならば


         「不可能」のゾ-ンに指標を示すであろう。


         もう、こうなるとまともな社会生活を営むのは、破綻の道にまっしぐら~


         要するに、他人から「素晴らしい」と評価が上がるの比例して、実情の生活は


         犠牲にしていることが多いと推測する。


         それは、金銭的損失。時間的損失。


         維持管理するには、何を差し置いてでも優先しないと朽ちてしまう。


         「他を蔑ろにしでも、取り組まないと、美は完成しない」そのように言った人もいるが


         どうなんだろうか・・・・


         個人的な意見だが、本来は「自然界存在する樹木」を手元に届く位置での観賞


         この概念に無理があるのでは無かろうか。


         自然界の樹木が、人為的な行為(水かけ、枝の剪定等等)を行うのか?


         答えは「否」である。人的行為が行なわれないからこそ、人が「美」を見出す。


         それを、無理やり行なう行為が果たして「美」と呼べるのだろか?


         また、この「美」という概念も千差万別で「何をもって、美」と定義のか?


         更に言うなら、樹木に人と同じ「感情」なるものが存在するのであれば、


         自然界で根を張って、数百年も同じ所に存在して、過酷な環境に耐え、枝は曲がり


         歪な形に育ち、樹木は何と感じてることか?


         植物は光合成が成長に欠かせない仕組みなので、その光合成に欠かせない


         「光」である天に輝く太陽を目指のが摂理で、少しでも上に上にと育つはず。


         だからこそ「真っ直ぐに育つ」このことが樹木の正しい形体であるはず。


         それなのに、歪に成長した樹木。感情があるなら「まっぐに育ちたい」と思うはず。


         そんな、樹木からすれば「不幸な出来事」の環境で育ち、不本意な形状が


         「美しい」と言う人間の感性に同調して「珍なる樹木」が美に昇華してしまう。


         自然界は、人の力など作用する領域では無い領域。


         だからこそ、もっと畏敬の念で踏み込まなければならないのでは、無かろうか。  
        




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