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美2019年1月16日
![]() 今更ながら、新年明けましておめでとう御座います。 厳密言うならば、小正月(1月15日)までは正月と言う定義だから このフレ-ズは「使用可」だったが、本日からは「寒中見舞」と言うのが 正しい言い回しとなるらしい。 そんな新年にかけて、樹齢400年の盆栽が盗難被害にあった。 その価格が数百万円(この言い方が非常に濁した言い回し・苦笑) 所有者からすれば、「金額に表せない」と言うだろうが、世間的相場と言う意味で 「あえて値段をつけるなら・・・」そんな事での、数百万円と言う値段を出したのだろう 海外でも「盆栽」が流行りつつある(ヨ-ロッパ圏)やはり文化を大事にする地域は 他国の文化にも理解を示す。 確かに自然の物に人為的に手を加え、単なる樹木を「美」にまで昇華させる事は 「美」になるだろう。 しかし、ここまでの姿にするまでに時間で「400年」気が遠くなる時間である。 その間には、どれだけの人の手が加わった事か、想像を絶する。 そもそも「盆栽」とは何か?本来は自然の大木を縮尺し鉢植えして観賞する この粋な趣味。非常に時間を有する。まず、自然が相手なので、人の都合等は 関係ない。日差しが強ければ対策をするしかない。普通の生活(仕事等)を 営んでいる環境では、誠に行いにくい趣味である。 余ほど、時間と財力に余裕が無いと出来ない趣味とも言えよう。 逆説的に言うならば、世間に評価される盆栽を所有するという事は 「私は、時間も財力もあります」と誇示してるように感じてしまう。 要するに、他を投げ打っても取り組まないと、出来ない事。 自分で出来なれば、頼み世話をしてもらい事は可能(金銭的な解決方法) 金銭的に無理ならば、自らが行うしかない。そうなると今度は「時間的」な問題 まともな生活を営んでいるなら、可能か不可能か。この事柄を指標で表すならば 「不可能」のゾ-ンに指標を示すであろう。 もう、こうなるとまともな社会生活を営むのは、破綻の道にまっしぐら~ 要するに、他人から「素晴らしい」と評価が上がるの比例して、実情の生活は 犠牲にしていることが多いと推測する。 それは、金銭的損失。時間的損失。 維持管理するには、何を差し置いてでも優先しないと朽ちてしまう。 「他を蔑ろにしでも、取り組まないと、美は完成しない」そのように言った人もいるが どうなんだろうか・・・・ 個人的な意見だが、本来は「自然界存在する樹木」を手元に届く位置での観賞 この概念に無理があるのでは無かろうか。 自然界の樹木が、人為的な行為(水かけ、枝の剪定等等)を行うのか? 答えは「否」である。人的行為が行なわれないからこそ、人が「美」を見出す。 それを、無理やり行なう行為が果たして「美」と呼べるのだろか? また、この「美」という概念も千差万別で「何をもって、美」と定義のか? 更に言うなら、樹木に人と同じ「感情」なるものが存在するのであれば、 自然界で根を張って、数百年も同じ所に存在して、過酷な環境に耐え、枝は曲がり 歪な形に育ち、樹木は何と感じてることか? 植物は光合成が成長に欠かせない仕組みなので、その光合成に欠かせない 「光」である天に輝く太陽を目指のが摂理で、少しでも上に上にと育つはず。 だからこそ「真っ直ぐに育つ」このことが樹木の正しい形体であるはず。 それなのに、歪に成長した樹木。感情があるなら「まっぐに育ちたい」と思うはず。 そんな、樹木からすれば「不幸な出来事」の環境で育ち、不本意な形状が 「美しい」と言う人間の感性に同調して「珍なる樹木」が美に昇華してしまう。 自然界は、人の力など作用する領域では無い領域。 だからこそ、もっと畏敬の念で踏み込まなければならないのでは、無かろうか。 |